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2012-01-02 (Mon)
新しい年があけました。

年末には、恒例行事の一つでもある「大掃除」
街のあちこちで一年のホコリを綺麗に落とし
新年を迎える準備をしている光景を目にしましたね。

また、新年を迎え、たくさんお手伝いをする
子どもの姿もよくみかけます。

そうした活動の中には
自己効力感が高まるチャンスがたくさんあります。

小さな子どもが、お母さんの真似をして
お節やお正月料理をテーブルに運んでいます。
でも、バランスを取りきれず、運ぶ途中でお皿をひっくり返してしまい、
床はべちゃべちゃ。お料理もぐちゃぐちゃ。
さあ、こんな時、どんな声をかけますか。

1.ちょっと、何やってるのよ!料理が台無しじゃない!!
  汚すだけなんだから、あっち行って頂戴

2.お手伝いしようとしてくれて頑張ったのね。ありがとう。
  でも、落としちゃったね。持ち方が悪かったのかな?
  一緒に拾って、きれいにして、お片づけしようね

この場合、是非「2」をお勧めします。
小さいながらにも、一生懸命、役に立とうとした姿を
落としてぐちゃぐちゃにした、という結果だけを見て叱りつければ、
子どもの心は、悲しみでいっぱいです。

当たり前の事を書いているじゃないか、と言われそうですが、
よく見てみると、気づかないところで、
子どもの心を折ってしまう発言を
大人たちがしていることに気がついて欲しいのです。

現在、私は15歳~概ね40歳までの方に携わらせていただいています。
小さな子どもを持つ保護者さんに知ってほしいのは、
子どもの将来のためにと、厳しく躾られる方がみえますが、
雁字搦めにすることではないことを、敢えてこの場で伝えたい。

以前、30歳代の息子さんとお母様と一緒に
キャリア・コンサルティングにお越しになられたことがありました。
玄関で、息子が靴を脱いだあと、
丁寧にお母様が息子の靴を揃えていることがありました。
その時、私がお二人に言った言葉は、
息子さんは大人です。お母様が靴を揃えて上げる必要はないと思います。
とお伝えしました。

子どもが可愛いと思うと、知らぬまに自立の芽を摘むんでしまうことがあります。
座った椅子は自分で机側に戻す、
靴は自分で揃える、人に会ったら挨拶をする、
帰ったらうがい手洗いをする、等、
ルールやマナー、モラルなどを教え、
子どもが自分から出来るようになるために、
教えてあげる、一緒に考える、ということが躾なのではないかと思います。

前述した2の場合、
手伝おうとしてくれたという気持ちをちゃんと受け止め、返し
無理をしてしまったことが、どうしてよくないことなのかを悟らせるために、
「どうしてダメなのかな?」と考える機会を与えてみてください。
そして、「そうだね、よく考えたね」と
子どもなりに出た答えを受け取って
持ち方などを教えてあげる。下手でもやろうとした姿勢を
認めてあげることで、
「あ、わたし、できたんだ」と自分のできたことを理解します。

こうした経験の積み重ねにより、
「自己効力感」は高まっていくのではないかと思います。
しかし、悲しい現実として、
成長過程において、この自己効力感が不足していく人がいます。

考える機会も、経験することも減り、誰からも認められない
出来て当たり前、とばかりに
スルーされてしまうことも多くなるのではないかと感じていますが、
どんな小さなことも、子どもの成長段階において
きちんと認め、将来に通じる能力として
育んでいけたらいいですね。

「今」だけをみず、子どもの「先」を見て
接して欲しいと願ってやみません。

余談ですが、
今年、私は自分なりに活動を展開していく予定です。
今までは、ある程度「組織」に守られてきましたが、
それに甘んじていてはなんの成長もありません。
もっと、自分の心に正直に、そして、自分がやりたい、と思った道を
自ら切り拓いて、活動したいと考えています。

まずは、講演活動をもっと増やし、
社会に適応できなくて苦しむ子ども・若者を増やさないよう
講演活動を強化しようと思います。

詳細はまたブログで紹介していきます。
どうぞ応援よろしくお願いいたします。

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| 発達課題 | COM(0) | TB(0) |
2012-01-02 (Mon)

キャリアコンサルティングの場面で、よくある例ですが、
長年、子どもがひきこもっていました。
他者との関わりもほとんど持たず、家にいて何もしていません。
そろそろ働いてもらわないと困るので、
「人に会うために、外に出なさい」
「ボランティア活動など、地域社会の活動からでいいから、参加しなさい」
「アルバイトでいいからやりなさい」 と言ったんですが、
なかなかうまくいかなくて・・・・。

相談にこれらたかたは、子どものことがとても心配で
なんとか社会との接点を付け、
働けるようになって欲しいと願ってみえます。


しかし、いきなり社会に参加させようとすると、
苦手意識や精神症状が強められたり、
よかれと思って発言する人との関係性の悪化や
子どもの疲弊・圧迫感などから
その後の働きかけが困難になってしまい、
更にひきこもってしまう、といった例も少なくありません。

単に自立、働くといっても、個人がイキイキとして働き、
人生を楽しみながら歩んでいかなければ
またどこかでしわ寄せが来て、長く苦しい時に遭遇する可能性は高いと思います。

その人がその人の人生をイキイキ歩んで行けるために、
その人にとっての働く、ということを考えていくことが大切であり、
準備もできていないのに、いきなり社会活動に参加させることは
かなり本人にとってかなり高いハードルにしかならないと思います。

人と会うことに対してどう感じるのか、
ストレスを溜めすぎずバランスをとって生活できているのか、
他者からの意見や予期しない出来事に遭遇しても
適切に認知して、対処できるのか、
働くことを否定的に捉えすぎないか、
職業能力として、どんなところを持っていて、
その能力に気づいているのか、など、色々な角度・視点で
面談させていただきます。

最近面談にいらっしゃったCLさんは
「将来、人の役に立つ仕事がしたい。できれば介護職に就きたい」と言いました。
素晴らしいことです。
しかし、日頃は対人関係に不安をもち、両親以外話すことはほとんどありません。

彼女に提案したのは、「折り紙」
「いつの日か、折り紙で作った作品を、地域の高齢者の方に贈れるといいね」
そんなところから、折り紙を日々の生活の中に取り入れてみること、
無理をせず、自分が折ってみたいな、と思った時に
好きなものを折ってみてください、と提案しました。

意図は、まずは自分の感情を少し外に向けるきっかけと
将来の就労に向けての小さなトレーニング。
そして、「役に立っているんだ」という自己有用感の涵養。
少なくとも、折っている間は、「楽しい」と思えるのではないかというのが
ひとつの狙いでした。

先日、彼女との3回目の面談がありました。
「こんなに作れたんです。作っている間、楽しかったです」

それは、とても丁寧でとても優しい。
彼女の思いが折り紙に表れているかのようでした。
そして、作ったものを面談で再度折っていただきました。
点と点の合わせ方、折り目の付け方、
作業スピード、精度、折っている時の様子などを見る中で、
非常に集中力が高いこと、
出来上がりイメージを持って、自分なりの折り方を見出していること、
非常に早く、非常に丁寧。

職業能力、働く上での姿勢、何か持っているぞ、と感じられました。

「次の面談までには、もっと多くのものを作ってみます」
「作った時の感想をつけてみます」

~しなさい から
自分でやります、という主体性が高まったように感じました。
これが、私は必要だと思います。

他人から見れば、「は?」と思うことであっても、
本人にとっては、とても重要なことってあると思います。

中間的トレーニングという言葉をよくきくようになりましたが、
まさにこういうことなのではないかと思います。
こうした経験を積む気持ちが高まっていくことが、
社会につながる第一歩ではないかと思い、
これからも、一人一人の心の声に耳を傾け、寄り添いながら
イキイキ、ハッピーになれるよう
サポートしていきたいと思います。

| キャリア | COM(0) | TB(0) |
2011-12-13 (Tue)
今日のニュースで報道されていた
「生活保護の改善策まとめる~就労支援を実施」について、
生活保護受給者が増加する中、厚労省は、地方団体の代表者らと協
議を行い、受給者に集中的な就労支援を行うなどとする当面の改善
策をまとめたとのこと。

... 私がこのニュースで気になった点は、
「働く能力があるのに、求職者支援制度の職業訓練を勧めても受講
しない人に対して、生活保護の停止を検討するという方針が盛り込
まれた」という点。


私が支援させていただいている若者の中には
「職業訓練を受講しようと応募しても受からない」、
あるいは「受講しようと思うけれど、その一歩が踏み出せない。」
という気持ちはあっても動き出せない若者もいるのも事実。
その中には生活保護受給者も存在します。


生活保護を必要とする人もいる、けれど、増加していくことは
100%「良い」とは言い切れない。とても難しい問題だと思う・・・


私ができることは、目の前に支援を必要とする人に寄り添い、
その人がイキイキと働き、その人が人生を自分の足で歩いていくための
ほんのちょっとのお手伝いだけかもしれないけれど、
情熱を胸に抱き引き続き支援していきたい。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20111212-00000048-nnn-soci

| 社会 | COM(0) | TB(0) |
2011-12-09 (Fri)
昨日、以前の仕事でお世話になっていた方と
久しぶりに再会しました。

そこで一言・・・

「おいおい、どうしたんだ、凄く太ったじゃないか!」

はい、平田は、数年前から特に昨年、急激にデカクなり、
本当に○○コ・デラックス風に育ったのです。


で、さらに・・

「お前、そんな体ではだめじゃないか、
何かあったら子どもがかわいそうだぞ
それに、自分が健康ではないと、何もできないじゃないか、
人に何かを言う前に、自分で自分を大事にしないと
口ばっかりの人間だと思われるようになるぞ。
健康管理ができないようではいけないぞ」


と耳の痛い話が次から次に、容赦なく私に突き刺さってきました。
さらには、

「おい、笑っている場合じゃないぞ、
まじめに自分の体を考えなければ、何かあったらどうするんや
子どもにかわいそうな思いをさせるんか!
俺は冗談で言ってるんじゃないぞ」


コンプレックスに直球で言葉が突き刺さるわけですから
凹んだり、悲しくなったりする人も多いと思うのですが、
私はむしろ、嬉しかった。

こんなにも真剣に他人の健康を考えて
言いたくもないような現実を相手に突きつけるようなことは
誰だってしたくないだろうに、
彼は、本気で私を心配してくれていたのです。

心から私と私の子どもたちのことを考えて
言いづらいことを言ってくれた
その気持ちが本当に嬉しい。

太っていることは悪ではないし、
だめなわけでもないと思いますが、
昔の私なら、コンプレックスで潰され
きっと社会と断絶しようと自分の殻に閉じこもり、
暗い顔で、暗い未来を見て、
相手や私がそうなった原因を憎み恨んだに違いありません。

でも、私は彼が言ってくれる一言一言をすべて受け入れることができたのです。
あるがままの自分を認めているから。

自己受容という言葉がありますが、
それは、「あるがままの自分を受け入れる」ということです。
どんなに頑張ったとしても失敗することもある、
苦手なこともある、
努力しても必ずかなえられるとは限らない、
自分で認めたくないことであっても、それを受け入れ
そういう不完全さのある自分も、「自分」である、と理解し
受け入れることを言います。


自己受容や自己承認ができるようになると
自分の基礎が高まり、その部分を基にすることで
どんどん自己成長を得ていくことができるのです。


自分の心に耳を傾け、自分が何に感じているのか、
何にびくついているのか、何に・・・とわかってくると思います。
そうした感情を受け止め、ああ、そうなんだ、そういう自分がいるんだと
認めてあげてほしいのです。

例えば、自己受容ができないと
太っていると言われたからだめなんだ、
馬鹿にされているんだ、
私は認めてもらえていないんだ・・・
など、ネガティブワールドに突き進む

自己受容ができると、
この言葉痛いな~・・・そうか!
そうやって言われるのが嫌だと心では思っている反面、
私、自分でも不味いって気付けているんだ!
直球で自分が気にしているところに当たるから痛いんだ。
でも、きついこと言われているけれど
真剣に聞ける自分もいるぞ・・・
この人は私のことを真剣に心配してくれているんだ・・・ありがたいな。


と肯定的にい捉えていくことができます。
太っていようがいまいが、自分は自分
嫌な部分があったとしても、それも自分の一部。
自分をまず理解していくこと、得手不得手も嫌いな部分も含め、
自分であることを受け止め、理解し、感じてほしいと思います。

そして、健康は本当に大切です。
「まあ、いいか」と自分の体のことをどこかに置き去りにしていたとしたら、
自分を大切にできていないのかな、と思います。

ちょっと話が飛びますが、
生きているもの全てにいずれ「死」が訪れます。
私は「死」を人間としての最後の成長と思っています。
それは、父が教えてくれました。
父は最後まであきらめず、天に向かって行きました。
それは、力強くもあり、逞しくもあり、見たことのない姿でした。
胃がんで亡くなったのですが、父なりの人生の幕の降りる瞬間を見たとき、
「天寿を全うする」ということは、こういうことなのか!
と、言葉に表しにくいのですが、

死を迎える瞬間まで、成長し続けるんだと思ったのでした。
だとしたら、生きているうちに、最後の成長を全うできるように
自分を理解し、認めて、そしてイキイキ生きて行かなくちゃ、

と思います。

そのためには、基本的なことだけど、すごく大切なこと
「健康」であること。

さあ、健康的な体を手に入れ、
人生もっとイキイキハッピーになるぞ!
さあ、ダイエットだ!がんばるぞ。
ふふふ、イメージイメージ(^^)/

IMG_0264.jpg


IMG_1674.jpg



| 健康 | COM(0) | TB(0) |

2011-12-05 (Mon)
今日の夕方の空です。
この画像のとおり、とても寒い一日でしたが
今日は大切な友人たちとの忘年会がありました。
冬空

本日のメインイベント!
「ぐず」によるライブです
ぐず

ギターあり、カホン(Cajón→ペルー発祥の体鳴楽器の一種です)あり
勿論歌ありで
大いに盛り上がりました。

お二人は仕事帰りなど、一宮駅の高架下で歌っているそうです。
甘い声と迫力ある声量、そしてイケメン(といってもお二人とも40代ですが)
とても素敵でした。

私も飛び入りで、オペラ調で歌わせていただきました。
凄い久しぶりで、声が出る出ない、共鳴するしない、関係なく
楽しく一緒に歌わせていただきました~

そして、ちびは初のギターに挑戦!
ぐずとあおい

幼児がギターや楽器など、高価な物を触ると、
多くの大人たちは、「触っちゃダメ」と言う人が多いですが、
ぐずのお二人は、子どもがどんなふうに触ろうとも、
決して止めることなく、

「いいね、凄いセンスがあるね」
「上手だよ、こんどはこうやってみて」
「ああ、いいね、その調子、さっきより上手に弾けるようになったよ」
「いい音がでるようになったね」
など、褒める褒める>褒める褒める。

我が子はどうなったかというと、
あおい初ギター
一人で持って、一人でピックを動かし
重いギターを決して離さず、
しっかりと抱きしめながら、弾く、弾く、弾く、弾く

そして、私に
「ママ、どう?あおいちゃん上手になった?」と
ニコニコ聞いてきました。
そのニコニコがとても私も嬉しい。
身体全体で喜びを感じました。

これぞ、まさにキャリア教育!
体験して学ぶ そして、「自分はできるんだ」という
自己効力感(セルフエフィカシー)を醸成していきます。

便利な世の中になって、人と人が繋がる機会が減ってきています。
子どもがギターを触る、楽器を触るのに、お金を出して触る時代。
勿論、幼稚園や保育園、小学校などで触る機会はありますが
自由に触る機会は、減ってきているように思います。

初めてギターに触るときには、ドキドキ、オドオド・・・するでしょうが、
きちんと持ち方を教えながら、
その子が挑戦する姿勢をきちんと大人が見て、認めてあげると
子どもはちゃんと「これは大事な物、大切に持たなくちゃダメなんだ」
ということを悟ります。


そして、何度も触っていくうちに、自分なりの「コツ」を覚えます。
その「コツ」は、人それぞれであって、
誰もが同じコツにはならない、その人なりの「コツ」です。
こうした自分なりの「コツ」を掴んでいくことで、
コントロールスキル、匙加減がわかっていく力に繋がっていくように思います。

子どもにとって、始めてみるものは興味津津、
触ってみたい、やってみたい、
○○したい、という欲求が生まれます。

その欲求を大人目線で「ダメ」と単に止めてしまうことで
子どもの成長機会を逃してしまいます。
どうぞ、色々な経験をさせてあげてください。

最初から「ダメ」と言えば、心が押さえつけられ、萎縮してしまうかもしれません。
きちんと教えてあげることで、子どもはちゃんとした対応を
自分で生み出していく力を持っていると思います。

長くなりましたが、
私の大切な友人達の輪がどんどん広がりを見せています。
出会いに感謝、出会えたことに感謝。

娘にギターに触るという経験をつませていただき、
心から感謝しています。(将来すっごい歌手になってたりして・・笑)

本当に有意義な一日になりました。
今日、命日の母も、お線香一本あげずに忘年会に行っていたけれど
きっと微笑ましく見ていてくれたと思います。

12月4日が毎年凄く嫌でしたが、
今年は最高に素敵な仲間と最高のお料理と、
最高の演奏と、そして、そして、
最高の仲間たちと笑顔で、さらにさらに、子どもと一緒に過ごせたこと
そんな幸せな一日を終えることができました。

みんな、ありがとう!!

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